『砂漠のライオン』/ “Omar Mukhtar -Lion of the Desert-“(1981)

(日本語&English)

Who does know what “colonization” exactly is ?

That should be the people who lived being colonized, and their offspring.
Not the people who did colonizing, and their offspring.
Even now it is quite hard to get to know it for the people who live in the state of the former colonial power.

植民地主義とは何たるかを本当によく知っているのは誰か?
それは、植民地化を受けた人々とその子孫でしょう。
少なくとも、植民地化を行った側の人々ではない。また、そうしたいわゆる「旧宗主国」と呼ばれる国で育った人ではなかなかないでしょう。

この映画は、ムッソリーニの時代のイタリア政府がリビアで行っていた植民地化の過程を、リビア側の視点で描いた作品。
一般には「砂漠のライオン(Lion of the Desert)」という名で知られていますが、原題には「Omar Mukhtar(オマ・ムクター)」というこの映画の中心人物、イタリア政府に対抗しリビアを防衛し続けようと長年戦ったリーダーの名前が含まれています。この映画で描かれるのは、このOmar Mukhtarが最終的にイタリア政府によって処刑されるところまでの話。

植民地化という言葉は、社会や歴史の教科書の中で非常に無機質な言葉として登場する。
しかし実際にその「植民地化」が始まる瞬間、そこでは何が起きていたか。
それは簡単に言えば、すなわち、武装した外国の政府や軍隊が突然街に現れ、人々のそれまでの生活に『ストップ』をかけるということ。

時々、「確かに軍隊が上陸したが、市民への暴力や強制はなかった」と過去の植民地政策について論じる人がいますが、
武器というのは使わずとも所有しているだけで強制力があるということが何故分からないのかと思う。
包丁を持った強盗がコンビニのレジを襲ったら、従業員はどう対応する?
ある日突然、拳銃を持ち戦車に乗った人間が村に現れ、何かを命令してくる。
その時に強制力を感じないという人は、同程度かそれ以上の武器を保持している人だけでしょう。

そして残念ながら、多くの”被植民地化国”の記録は、その『ストップ』のかけ方というのが、決して生ぬるいものではなかったということを伝える。
この『砂漠のライオン』も、そう。
抵抗しようとした市民を、村の全員の目の前で次々と撃って殺す。
住宅に侵入して収穫物やその他の財を持ち出し、皆の前で油をかけて燃やす。
連行先のキャンプでは、若い女性を選んで定期的に慰安所に連れて行く。
反対勢力に物資を送ろうとした者は、その場で撃ち殺さず、翌朝収容者全員の前に呼び出し、処刑し、首を吊らせたままの姿を皆の見える所に放置する。…
こうした方法で、抵抗しようとする人間を限りなくゼロにし続ける「作業」を、イタリア政府は「植民地化」という過程の中でひたすらやり続けてしまったらしい。

映画の終盤、Omar Mukhtarは、処刑される前日に、リビアの統治を取り仕切ったグラッツィアーニという将校と1対1で話をするのですが、そこで印象的な言葉がありました。

“We will never surrender. We win or we die.”  (映画『砂漠のライオン』)

日本語で言うなら、「私たちは決して屈しない。勝つか、死ぬかだ」。
“勝つか死ぬか”という言葉に、何か「過激」なものを感じて怖いと感じる人もいるかもしれません。

ただ今回、 アンソニー・クインさん演じるOmar Mukhtarの語りを見ていて私が感じたのは、「勝てなければ私たちは死ぬ」というような意味合い以上に、「私たちの『負け』はありえない」というメッセージ。
イタリア政府のやっていることは120%おかしい、ということを誰かが言い続けなければならないという責任感。
イタリア政府の暴力と殺戮によってもはやほとんどの人々がイタリアの仰せのままにキャンプに連行され、何も言えなくなってしまったけれど、
自分たちは間違ってない。それだけは言い続ける、と。

「過激」でも何でもない、ごく当たり前の主張なのでした。

 

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